21日の日曜日、朝日新聞社説に「伝統木造構法 匠の智恵を地
震列島に」という論説が出された。
能登は、神社仏閣が多くまさに”伝統構法の宝庫”だ。
能登半島地震によって今にも倒れそうな本堂を、匠の技術で見事に建て起こしを
して再建した事例は少なくない。
いや、それどころか全壊でグチャグチャになった木造住宅でも補修再建
している事例も少なくない。
考えてみれば、阪神・淡路大震災以降の地震で全壊あるいは大規模半壊に
なった被災住宅を匠の技術で、これほどまでに補修再建された事例も稀では
ないだろうか?
この事実は今後の災害後の住宅再建に多くの教訓を残された。
しかし、それは能登という地域特有のものだろうか?
勿論、他の地域と比べて梁の太さ、土壁のしつらえ、基礎の頑丈さなど比較すると、
能登の木造住宅は凄いとなるのかも知れない。
一つは雪深い地域の智恵でもある。
でも、他の中山間地域においても日本の古来の伝統構法で建てられた木造住宅は多い。いまこそ、それらに注目し可能な限りの耐震補強が急がれるのかも知れない。
先日4日間ほどであるがネパールに行く機会を得た。
首都カトマンズで世界遺産に認定されている地域で、現存では最古に近い古い
寺があった。
よくよく見ていると、あとから補強しているなぁと思える状態を見ることができた。
それは古いもともとの柱に添え柱として二重にしているのだ。
「なるほど、筋交いなど入れなくてもこんな簡単な方法で補強ができるのか!」と
思った。
同時に、2004年のインド洋沖の地震津波のあと、インドネシアのニアス島に
行ったときのことを思い出した。
築100年の木造住宅(屋根は椰子の葉で葺いたもの)はこの地
震でビクともしていない。
架工式(ジャングルジムのような縦横の軸組)
の構法で、破損したところだけを取り替えている。
そこだけ真新しい木材が使用されているのですぐわかる。
高床式の構造で床下には、家畜を飼っている。
家畜は何よりも貴重な財産だから、床下を支える基礎の構造は半端じゃないほど
堅牢である。
暮らしの智恵なのだろう。
先に触れた匠の智恵と暮らしの智恵が上手く噛み合って、昔から住ま
いというのはつくられてきたのではないかという推測は容易にできる。
むしろ暮らしが匠の技術を生みだしてきたとも言える。
最初に紹介した社説の最後に、「地震列島で大工や左官が培って
きた技に謙虚に向き合い、その匠の智恵を生かしていきたい。」と結んでいる。
能登の穴水から車で15分ほど珠洲の方に行くと「能登中居鋳物館」というのがある。
この中居鋳物の歴史は古くは平安の末期にまで遡るのだが、最盛期は1751年から1764年の間で、この頃には貸釜が2000もあったそうだ。
やがて、鋳物業が衰退しつつあるとき、この中居の鋳物師は能登をはじめ北陸および東北地方の左官になって行ったという興味深い話がある。
何故、鋳物師が左官なのか?
左官は、道具のコテが命である。
そのコテを自分で創っていたとのこ
と。”マイ-コテ”だ。
能登地域の左官の技術が優れているのは、こう
いう歴史があるからだと教えられた。
益々能登通いは止められない。
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被災地NGO恊働センター 代表
CODE海外災害援助市民センター 事務局長・理事
村井雅清(むらい・まさきよ)
e-mail:murai@code-jp.org