◇能登半島地震半年 穴水・川島 描けぬ『仮設』退去後◇
穴水町川島で仮設住宅の自室で内職に従事する佐々木静江さん=穴水町大町で支え合う住人たち 新潟の被災地でボランティアも「ぜひ恩返ししたかったんです」。
穴水町大町の仮設住宅で暮らす佐々木静江さん(56)は、八月十七、十八日に災害ボランティアとして新潟県中越沖地震の被災地、刈羽村に赴いた。穴水町でボランティア活動に従事している町民三人とともに、同村の仮設住宅で配布物を各戸へ配って回った。
「ちょうど皆さん、仮設住宅に引っ越したばかりで、『何にも分からん』っておっしゃっていた。『私たちも仮設に入ったころはそうでした』とか、いろいろお話もさせていただいた」。能登半島地震から半年。仮設暮らしが一応落ち着き、新潟行きを思い立った。
穴水町川島の飲食店街で、十五年前からスナックを営んできた。が、地震で自宅兼用の木造二階建て店舗は全壊。今は取り壊して、さら地になっている。
同居を誘う金沢市と神奈川県で暮らす二十代の長男と二男に「子どもは子どもの人生があるから」と断り、仮設住宅で一人暮らしを続ける。
土地は借りており、建物を新築するには一千万円以上かかる。自らの年齢を考えると、何とかなる額ではないと、佐々木さんは考えている。
現在、午前中は七尾市内の温泉旅館でパート勤めしながら、仮設の自室で縫製の内職をしている。収入は地震前に比べ、半分以下に減った。一方で人と人の結びつきの大事さを痛感するようになった。
時間が空けば、談話室に出向き、仮設住宅の住民らと世間話をしながら手芸に没頭している。今回の新潟行きも、六月に新潟県の旧山古志村(現長岡市)住民が仮設住宅に激励に来てくれたことがきっかけだった。
何とか当面の生活には困らない。しかし、一年半先の仮設住宅からの退去後の住宅問題が、最大の懸案事項として立ちふさがる。
「まだ正直、どうしたらいいのか方向が見つからんぎわ」。仮設住宅に暮らす人たちの心奥深くには、不安が見え隠れする。
中日新聞より引用